2008.07.19 Saturday
高井戸小学校の疎開児童の取材
昨日の昼頃、控えめな物腰のおじさんが、訪ねてきました。
地元の感じじゃないなと思いながら、「なんでしょうか?」と 聞けば、「実は、戦時中、杉並の高井戸第2小学校の児童が、この地域に疎開して、お世話になり、その件で、取材してまわっているのです」ということでした。 前にも「栗駒と高井戸のつながり」で書きましたが、うちで疎開児童を受け入れてたということを母から聞いていたので、 まずは、「疎開のこと、聞きたいんだって」と母を呼び、話をしてもらうことに。 おじさんの名刺にはフリーライターとあり、奈良から来たとのこと。地区内のビジネスホテルに宿泊し、疎開の受け入れの窓口になっていたお寺から、戦時中の疎開児童と関連のある場所を聞いて、めぐり歩き、うちにも取材にきたというわけです。 奈良から来たんですかー。とちょっと私も話を聞いてみました。 地震で被害大きかった、栗駒地区にも、戦時中疎開に来ていたらしく、そちらは、高井戸第3小学校の児童だったということです。栗駒の避難所には、すでに高井戸3小のひとたちが、訪問したようですが、知らなかったなー。報道には出なかったんですかね。 戦時中は、宮城県全域に、東京の小学生が疎開してきたようで、鳴子温泉や、遠刈田の鎌先温泉などにも疎開していたそうです。当時衛生状態が悪く、感染病とか広がってしまったと聞きました。 疎開児童は、引率の先生が、明るく優しいキャラだと、その思い出は、戦時中ながら楽しい思い出となり、そうでない厳しい先生だと、つらい思い出になりがちなんですと言ってました。 引率の先生で、すいぶん変わるんですよーということでした。 うちの地区は、食料は多くはなかったですが、白米をちゃんと食べることができたのが、特筆すべきことだそう。この辺は、田んぼがいっぱいの穀倉地帯ですからね。 山あいの温泉地などでは、食糧難で、たいへんだったとのこと。 疎開先によって、食べ物がだいぶ違ったわけです。食糧難で、生きるか死ぬかの時代でしたからね。昨夜は、暴飲暴食を久々にしてしまい、反省してます。 来月、終戦記念日を迎えますが、毎年このころになると、戦後〜年とか、戦時中の話題が、マスコミ等に出てきますね。 |
































