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「くりでん」廃線に
 地元の足として、大正7年以来90年間も走り続けた「くりはら田園鉄道」が、昨日廃線になりました。映画「東京タワー」のロケ地にもなった、宮城県北、鴬沢にある細倉鉱山(跡)から、国鉄(今のJR)の石越駅までを結ぶ、およそ25キロの路線です。採掘が盛んだったころは、貨物列車もたくさん走っていたらしい。私は、そんな鉱山景気に沸く、くりでんと沿線の街をうっすらと思い出し。幼い頃、とにかく駅の待ち合いに人がいっぱいいて、わが町の市場や商店街にもたくさんの人が行き交い、活気がありました。今思えば、くりでんは、当時の繁栄のシンボルだったんだなぁ。我が家も岩手から商売をしに、この町に移ってきたと親から聞かされました。
 高校生以来、ン十年も乗っていませんでしたが、もうくりでんが無くなるということで、3月下旬、友人らと、”数少ない有人駅”の若柳駅から終点の細倉マインパーク前駅まで、記念乗車ってことで、往復してきました。

・電車はワンマン式でバスみたいに運賃精算するんですが、記念なんで切符を買ってみた。

 私の記憶では、昭和50年代あたりまで、クリーム色に緑の車体の電車だったような気がしましたが、今は、えんじ色のディーゼル車となってました。サイトで調べてみれば、平成7年まで、その車両だったようです。色はクリーム色に赤の写真でした。緑の電車の写真はなかったな…。


小学生の頃は、栗駒の当時有名だった眼科に、くりでんで通ってました。夏の田んぼを走る電車で、窓からの風が、とっても気持ちよかったのを思い出し、夏に乗っておけばよかったかなと思うも、もはや遅い。人口が減少し利用者も減る一方のこの地域で、私鉄を運行していくのは、合理的ではないのはもちろん承知ですが、くりでんが無くなるとなると、記憶の一部が消えてしまうようで、なんとも寂しいです。地元では、いまや車で移動する人がほとんどなんで、廃線後は、バス運行でやりくりするようです。でも学生やお年寄りなど、まだまだくりでん頼りにしてた人々は、不便でしょうね。いままで慣れた交通手段を変えるのは、お年寄りにとって、たいへんです。いくら利用客少なかったとはいえ、廃線となれば、駅前での商売も、厳しくなるんだろうなぁ。

・終点細倉に着いたら、記念撮影の人や、折り返しの電車を待っている人で混雑していました。ちかくの山は、撮影スポットらしい。

 ひさびさに乗ってみたら、電車のカタンカタンという線路のつなぎ目のリズムが「あ、栗鉄ってこうだったな」と懐かしく、心地よかった。駅についたら、ちいさな駅長さんが迎えてくれました。なんか時計が逆回りして、くりでんや駅舎がポンポンと消えて、野っぱら、田んぼ、山々が表れてきそうな、そんなイメージが頭に浮かぶ。

 
 帰りは陽も落ちて、あまり風景は見れませんでしたが、駅から歩いて商店街を抜けて家めざす道のりも、えらく久しぶりの感覚。腹減ったねーってことで、途中「銀座ホルモン」でハラミなど食いつつ、ビール飲んで、友と記念乗車を語り合いました。そいえば、うちのあたりって、ホッピーって置いてないんだなぁ。ポスターものぼりも無いし。
| k-gazou | ニュースから | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0) |










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